こんにちは、2008年!

daily-komagome2008-01-02

晦日は、大掃除に終始。古くなった障子を張り替え、換気扇を含めて台所をまっさらにし、本棚を少し整理。で、DVD返却のついでに、今年最後の古本として林書店で四冊。

 2007年の〆としてはまぁまぁ。
 帰宅後、現在把握している住所の人にだけ年賀状を書いていたら(この流動性に満ち満ちた東京で分かっている住所など結局数える程度だし、親友達の住所さえ知らないのだが・・・)、12時前にカワサキ来訪。除夜の鐘を聴きながら、一緒に“染井神社”に初詣。参拝を済ませてから、無料で配られる御神酒と、年越し蕎麦を口にして、ついでにその足で巣鴨の“とげ抜き地蔵”まで行くことに。神社で柏を打ったその手で、今度は南無阿弥陀仏と手を合わせる自分を顧みて「やっぱり自分も無宗教(=内容より、形式!)の日本人だなぁ〜」と思いつつ、建ち並ぶ屋台で“塩大福”を3つ買って帰宅。で、4時頃まで嫁とカワサキとくつろいでいると、これから毎週一冊づつ小説を読み、それについて毎週末ダベるといった簡単な遊びを思いつく。初回は太宰治御伽草子』に決定。結局床に入ったのは朝五時だった。
 元旦からは2007年話題映画総括週間として、まずは映画『毛皮のエロス/ダイアン・アーバス 幻想のポートレイト 』(スティーヴン・シャインバーグ監督/2007年・米/122min)から取りかかる。が、変態性癖(=アンチ・ヒューマン)と、フリークスとの交流(=ヒューマン)という背反する主題を同時に処理するという脚本レベルでの矛盾のため、イマイチ納得できず。
 二日は予定していた嫁の家族との食事会のため池袋へ。ついでにリブロで新刊を一冊。

 政治的先進国フランスが啓蒙合理主義で、経済的先進国イギリスが経験主義で、政治経済の両面で後進的だったドイツが観念論を身に帯びなければならなかったのだとすれば、まずは、その政治・経済的“経験”自体が皆無のアメリカは、現実的で実践的なプラグマティズムしか持ちようがなかったというのが紋切り型の整理になるのだろう。が、しかし、今度の『en-taxi』で野口良平が書いた「内戦の遺産−プラグマティズムへのもう一つの視角」で教えられたルイス・メナンドの『メタフィジカル・クラブ』は、それ以上の視座を用意してくれそうだ。つまりプラグマティズムアメリカという固有性を刻印したのが、まさに“南北戦争”といった歴史的経験だったのだという視点が断然新鮮で興味深かったのである。詳述する余裕はないが、あの脱構築的プラグマティスト=R・ローティまで続く“未完のプロジェクト”(=信念の多数性や、人間の可謬性を擁護するリベラリズム)の伝統が、アメリカ史上最大の内戦(戦争?)であった南北戦争の傷を引きずっていると聞けば、そこに孕まれた幾筋かのドラマを想像せざるを得ない。つまり、“戦前”においてイヤと言うほど「空想上の勝利」に翻弄されながら、しかし戦後になってその「超然とした理想主義」の限界をつきつけられた19世紀末の青年達(チャールズ・サンダース・パースウィリアム・ジェイムズアボットetc・・・)が、それでも、自らの「信念」を失わずに現実対処を可能としようとして掴んだ杖こそがプラグマティズムという思想だったのではなかったか・・・。とすれば、そのプラグマティズムに21世紀の日本に於ける同時代的主題を聞き取ることも可能だろう。手元には、積読しておいた冨田恭彦アメリ言語哲学入門』もあることだし、今年最初の“お勉強”はアメリカ・プラグマティズム思想史に決定だな。