ウィークエンド・ワセダへ

daily-komagome2007-12-24

 朝食後、ゆっくりと新聞を読んだ後、“ウィークエンド・ワセダ・お店で古本市”へ出掛ける。都電で早稲田まで行って、立石書店、飯島書店、古書現世という順番で回る。今日は少々無理をしたせいもあって、いい本が手に入った。

 特に嬉しかったのは、やはり最後の二冊。
 バーリンといえば、政治哲学領域で「消極的自由」と「積極的自由」を定式化した『自由論』ばかりが有名だが、個人的には“思想史家”としてのバーリンの方が何十倍も好き。バーリンと初めて出会ったのは、『ハリネズミと狐−「戦争と平和」の歴史哲学』(岩波文庫)という150頁程の薄い冊子だったが、この小冊子こそ、初めペンも持たずに何となく読み飛ばすつもりで手にして、しかし、読み終わる頃には三色蛍光ペンと欄外書き込みで埋め尽くされていたという一冊だった。そんな事、本当に稀にしかない経験なのだけど、その後も、平易で眼の覚めるように明快な『ロマン主義講義』や『北方の博士J・G・ハーマン』などには、クソほど教えられてきた。あえて、単純化すればハイエクの「自生的秩序」と、ポパーの「反歴史主義」の“思想史領域での検証”とでも言えるのかな。ちなみに、若い頃のバーリンラッセルなどの分析哲学との交流を持ちながら、しかし、その言語実証主義に反対して、オースティンなどのイギリス日常言語学派との討論会を自ら主催したことがなどは余り知られていない。本書は、その辺の事情もインタヴィューされているバーリン入門にはもってこいの本だろう。
 で、バルザックの『ラブイユーズ』も嬉しかった。かつての初心な文学青年には、俗で雑多で欲望過剰なバルザックは苦手だったと見えて、実は岩波文庫の『知られざる傑作』くらいしか読んでいないのだけど、『ラブイユーズ』だけは最近になってどうしても読みたいと思っていた。というのも、小林信彦『面白い小説を見つけるために』(坪内祐三が4回も読んだ)というという傑作小説論の中で、「物語の極限−「ラブイユーズ」」と、わざわざその中の一章を裂いて粗筋を論じて、バルザックの「いちばんおいしいところ」と臭わせ、訳者の吉村和明が「中期バルザックの代表作」と記し、鹿島茂が「隠れた名作」と断言するのであってみれば、少々値が張っても購入しないわけには行かないだろう。しかし、鹿島茂が『ラブイユーズ』について「文庫には一度も入ったことがないと思います。」と述べているが、実は『川揉み女』(「ラブイエ(=川を揉む)」という動詞からの派生か?)という邦題で戦後、角川文庫から上・下二冊で出ている。でも、鹿島でさえ知らないというのは、本当に「隠れた名作」なんだな。
 その後、早稲田でお茶して読書。
 帰りは山手線で帰宅。で、4時ごろから、昨日から再放送している『NHKドラマ特選・ハゲタカ』(イタリア賞受賞作品http://www.nhk.or.jp/hagetaka/movie.html)を今日も見る。テレビドラマにしては面白い。中島貞夫の『暴力金脈』にしろ、原田真人の『金融腐食列島・呪縛』にしろ、この手の経済ドラマは好きなのだけど、今回のドラマは不良債権・日本型経営VSグローヴァリズム・外資系金融ファンドという単純で不毛な二項対立に陥らないという点だけでも脚本の完成度を評価できる。「大儀=理想」の裏に張り付いている「経済=金」、と同時に「経済=金」の裏に必ず張り付いている「大儀=理想」。その矛盾に満ちたジグザグ歩行を描いて、「現実」の臨界的の手触りを与えられるかどうかが、この手のドラマの要だろう。「大儀=理想」と「経済=金」、そのどちらか一方に傾いても世界の感触など蘇らない。

 夜は、『M-1グランプリ』を見てから、また読書。サリンジャー=春樹訳『キャッチー・イン・ザ・ライ』にはほとほと唸らされる。