冨山房日和−素人のサント・ブーヴ覚書

daily-komagome2007-11-26

 昨日は友人の出産祝いのため絵本探しに神保町へ出掛ける。まずは一人自転車で出掛け、後から電車で来た嫁と合流。古書センター5Fのこどもの古本屋や、東京堂の別館などを巡る。絵本を購入して上島珈琲で一息つく。その後、自分用のプレゼントのため神保町散策。今日は、少ないながら濃い収穫だった。
 田村のワゴン均一、古書モール、ふるぽんダイバーの順番で、それぞれ一冊ずつ。

 帰宅後、サント・ブーヴを読み始める。フランス近代において、「批評」という文学ジャンルを創設したと言われるサント・ブーヴだが、読んでみて、その余りの現代性(=モデルニテ)にびっくりすると共に、それまで学んできた教科書的フランス文学史の記述との余りの落差に唖然とする。後のプルーストによるサント・ブーヴ批判=偏見が響いているのかも知れないが、サント・ブーヴの方法を「作家=人間中心主義」の一言で括るなどというのは、もはや全く的はずれな愚考だろう。確かにサント・ブーヴが、それまでアプリオリに通じた「古典的理性・趣味」を基準とした印象批評を、現実的な「文学を通しての人間研究」へと転換させたといった文学史的記述(例えば『増補フランス文学案内』岩波文庫)は全く間違っているとは言えないのだろうが、しかし、その前にサント・ブーヴが通過した時代の「デカダンス」に触れなければ「批評」について何も理解したことにならないだろう。サント・ブーヴとフーコーを突き合わせて、単に「それは、古典主義時代から人間中心主義時代へのエピステーメーの変遷だろ」とか言って分かった気になる訳にはいかないのだ。当のフーコー『言葉と物』にしたところで、「理性」が見渡す「タブロー」が不可能になって後(古典主義時代の崩壊=神の信憑の崩壊後)、その「タブロー」(=経験)の根拠・起源を後背的(=超越論的)に問わざるを得ないようにして分裂した「経験的=超越論的二重体」として、近代以降の「人間」を発見しており、決して単純な「ヒューマニズム」の誕生=制度を描いていたわけではないのだ。その意味では、近代の「人間」とは、自らの二重性を持て余さざるを得ない厄介な代物として、初めから己の同一性を「中心化」しようにもズレ続けざるをえない逆説的存在として現れているのである。おそらく、その視点から眺められて初めて、サント・ブーヴの「人間」は、その「批評」との必然的関連を明かすだろう。
 つまり具体的に「批評」とは、既に古代ギリシアやナポレオン時代の様な「偉大さ」が不可能に追い込まれてた「後の」、19世紀資本主義社会のフランス(近代=現代)において、しかしその価値相対主義に居直らずして、如何に趣味判断を他者と共有するのかという問い(近代に於ける普遍性への問い)において生成しているのである。換言すれば、既に個人(唯一性)と社会(多数性)の交点としての「英雄=詩人」が析出不可能な頽廃(の後に)を前提として、しかし、如何にして第三人称的交点を見出すのかという問いに貫かれて「批評ジャンル」が誕生しているのである。だから、「偉大」への「遅れ」を自覚した「批評」とは、全てが資本投機と化したモデルニテ(近代=現代)の頽廃を自覚ぜずに文学の絶対を謳う脳天気(=フランス・ロマン主義)に対しては、その裏側から、作家の相対的生活(=経済)を暴露するだろうが、しかし、一方で「印象」の絶対性を捨象して、作家の生活と環境を比較考量して「実証」を騙る頽廃=相対主義(研究アカデミズム)の居直りに対しては、文学の「伝統」を対置して、「鑑賞」の客観性をも粉砕せざるを得ないだろう。この夜郎自大な「絶対」(=フランス・ロマン主義的偉大)を切断し、頽廃に居直った「相対」(=自然主義的実証)をも峻拒する中間地点に、「批評」の実践性=平衡点が出現する。その意味では、自らロマン派詩人たることを諦めて批評を綴り始めたサント・ブーヴが、あの壮大な幻想的叙事詩『聖アントワーヌの誘惑』の挫折から、『ボヴァリー夫人』や『サランボー』の「描写」へ向かったフローベール(1821〜1880)に対して持っていた同情的共感は容易に推測できる。
 その意味では、サント・ブーヴこそ、ボードレールの「イロニー」と合わせ論じられるべき存在なのだ。未だダーティ・ヒーロー的定型・韻文を引きずった『悪の華』(初版1857)から、無韻である『パリの憂鬱』(遺作)の「散文=詩(相対=絶対)」の実験に向かいながら、一方では美術評論家としてサロン評をジャーナリスティックに綴り続けたボードレールこそ、正に「群衆(=相対)の中の芸術家(=絶対)」(安部良雄)といった不可能性に満ちた問いを実践的に発し続けた「批評家」ではなかったか。ボードレール(1821年〜1867年)が生きた時代が、そのままサント・ブーヴ(1804年〜1869年)の生きた時間にすっぽり収まり、かつ『悪の華』再版が出た年と『新・月曜閑談』(=1861年)が連載され始めた年が重なっている事実は、一体何を意味しているのか。そして、その約20年後には、世紀末デカダンスを享楽したパリ万国博(1889年)と、そのデカダンスに閉塞したユイスマンス『さかしま』(1884年)がほぼ同時期に分裂的に到来している事実は一体何を意味しているのか。恐らく、この問いを敷延したパースペクティブにおいて、サント・ブーヴは初めて「読む」に値するテクストとして現れてくるのだろう。
 本当は、シラーの「素朴文学と情感文学について」(1795〜1796)という評論も、その後のドイツ・ロマン派の展開を考える上で、めちゃくちゃ面白かったのだけど、それは又機会があれば。
 夜は、シバノ来訪。一緒に、松本清張ドラマスペシャル『点と線(第一部)』を観る。