遅番

daily-komagome2007-10-26

 朝、嫁を見送って本を読んでいたら、何故か昼頃になって嫁が帰ってきた。今の仕事は月によってシフトを自分で作るらしく、そのシフトを記憶違いしていたらしい。ということで、一応残業という形で少し働いてすぐ帰宅したとのこと。
 ならば、自分も今日は遅番だし、久しぶりに谷根千方面にでもぶらっと散歩でもするかと二人で自転車を駆って出掛ける。田端銀座を横目に不忍通りに出て、まずはブックオフの均一で物色。嬉しい掘り出し物がザクザク。

 帰路、他の古本屋を覗くが収穫無し。じゃ、最後に古本喫茶で〆るかと思ってブーザンゴに向かうと、店主が雑誌取材のため30分後に開店とのこと。じゃいいやと方向転換して、江田珈琲店を目ざして、久ぶりに白山方面へ向かう。が木曜日は定休日。二度に渡って蹴られとさすがに気が萎える。が、懐かしさに誘われて、なんとなく4年前に住んでいた白山通り沿いまで足を延ばす。白山ってやっぱりいい街だなぁ、とか思ってペダルをこいでいると、旧自宅アパート前に、いい感じのベーグル喫茶(白山ベーグル)がオープンしているではないか。旧宅は昼間でも電気をつけなきゃやっていけないくらいに暗かったから、何かと言っちゃ外に出て、書斎代わりに喫茶店を使っていた。その頃にオープンしてくれりゃ、間違いなくヘビー・ユーザーになっていたのに・・・・。
 ということで、そこの店で夕方まで読書に耽る。東洋大学が近いせいか、学生も多くて。静かな読書でも浮かない感じ。集中できた。
 夜、仕事へ。今日は2コマだけやってすぐ帰宅。帰宅後、少々調べモノをしていたら、面白いことに気が付く。江藤淳(1933年生まれ)と、種村季弘(1933年生まれ)と、小林信彦(1932年生まれ)は、鍋山・佐野の転向声明が出て、コップ(=プロレタリア文学)が解散した、あの昭和8年(1933)前後に生まれていおり、共に旧制中学で終戦を迎え、あの高度成長を、自らの青年・壮年期を通して経験し尽くしているのである。江藤が山の手のエスタブリッシュメント家系(戦後に没落するが、旧旗本屋敷が並んでいた新大久保出身)で、種村の生地が池袋で(母校は板橋の旧制第九中学=我らが北園高校出身)、小林が旧日本橋区の駄菓子屋出身だから、みな都会ッ子らしく洗練された頑固なセンスを持ち合わせてはいるが、それはそれぞれの生地とよく符合して差異化もされてはいる。しかし、それ以上に重要なのは、この三人のモチーフが共に「喪失」を巡っているということだ。種村の場合、首を傾げる向きもあるかも知れないが、しかし、彼もその晩年はグルタフ・ルネ・ホッケ『迷宮としての世界』張りのドイツ・マニエリスムからは足を洗って、筑摩の『東京百話』の編集に携わり、ひたすら江戸の面影を辿って『江戸東京《奇想》徘徊記』のようなものを書く「喪失」の人なのである。ただ、三人とも、その「喪失」をイデオロギッシュに=未来先取り的に取り返そうとはしない(江藤だけは、少しその気があるが・・・)。だから、その現在に耐えてみせる姿に、三者三様のダンディズムが生まれてくる。その先に、近代日本=戦後日本の混乱に耐える姿=ヒントを見たい気もするが、それは欲張りという物だろうか・・・。