久しぶりの鹿島茂

daily-komagome2007-10-22

 9時頃起床して後、そろそろ、寒くなってきたので、大掃除のついでに衣替えにも奮闘。でもって割れた陶器も処分して、かわりの急須や、茶碗などを買い換える。
 夕方あたりからやっと読書に時間を充てられる。昨日カワサキから借りた鹿島茂『絶景、パリ万国博覧会−サン・シモンの鉄の夢』(河出書房新社)を読み始める。これって初版が1992年だけど、その後の『パリ・世紀末パノラマ館−エッフデル塔からチョコレートまで』(1996年初版、2000年中公文庫化)の内容とほとんど重なっている。ただ、さすが最初に書いた万博モノだけあって、中公文庫の最後に収録されている「快楽の共産主義」より、力が入って内容は数段詳しい。でも、こうやって見てみると、さすが「啓蒙合理主義」と言う名の神秘の国フランス!やることが、完全に狂っています。
 後進国の「暗さ=ストイシズム」を如実に反映したドイツ観念論を引きずっているマルクス主義に馴れている目から見ると、それ以前の、先進国フランスの「明るさ=快楽主義」を反映した革新的ラディカリズム(サン・シモン、フーリエetc・・・)は異様に映る。おそらく、ドイツ・ロマン派とフランス・ロマン派の違いに完全に対応しているこの二つの現象は、各々でロマン派概念を書き換えなくてはならないように、同じ左翼思想という名で語っても何も見えてくるものはないだろう。だって、フランスの能天気さは、ほとんど「進歩」と言う名の享楽だものね。共同体破壊=故郷喪失を埋めて余りある「未来」の狂信的創造。そして、近代的個人の孤独を埋めて余りある「快楽」の情熱的創造。「懐かしい未来」といったドイツ・ファシズムの「懐かしさ」さえ不要で、「神の見えざる手」といったイギリス・レッセフェールの「神」さえ不要な、この「産業者による、産業者のための、産業者の社会=ユートピア」は、しかし一方では、その過激化した自己言及性の矛盾を隠蔽するために、それ自体が、ほとんどキッチュな宗教団体と化さざるを得ない。曰わく、新キリスト教会、株式会社=サン・シモン教会、産業共同社会=ファランジュユートピア・・・・。でもって、こっから出てきた知識人士が、第二帝政下にナポレオン三世の懐刀として活躍し、その空想的社会主義を、万国博(byシュバリエ)や、パリ改造(byオスマン男爵)としてリアライズしていくんだから恐ろしい。というか、当時としてはエンゲルスの言う科学的社会主義より、空想的社会主義の方が現実化されているんだから、どっちが「空想的」なのか分かりゃしない。
 しかし、ここまで書いて思い出してしまうのが、ソ連統制経済に憧れて、あの「大東亜共栄圏」を空想的に(?)謳ってていた昭和初年代の革新官僚の悉くが、戦後になって、GHQ占領政策を梃子にあの官僚独裁=計画経済(護送船団方式・行政指導方式・年功序列・終身雇用・社会保険完備)を実現させて、戦後日本の高度成長を牽引したという事実である。そして、その頭領が岸信介なんだから、実は「空想的社会主義」も結構身近な現象だったりもします。その意味では、高度成長の現実に身を浸して育った団塊の世代である鹿島茂が、第二帝政下のパリに「近代」のプロトタイプを見出すのも分かる気もするかな。

 夜は、明日カンボジアベトナムに旅立つサトウが来訪。信濃町のお菓子を食べながら、一緒に食糧安保(つい前NHKでやっていた『ライス・ショック』)について熱く語り合う。でも、駒込のエレベータなしアパートの五階で、貧乏人二人が政治ネタを熱く語り合うってのも、なかなか「空想的」ですね。トホホ・・・。