穴八幡宮青空古本市

daily-komagome2007-09-30

 カワサキと嫁とで早稲田の穴八幡宮でやっている青空古本市にに出掛ける。毎年、穴八幡古本市の時期が来ると、「秋が来たんだなぁ〜」と思うけど、今日は生憎の空模様。ただ、カラッと晴れてはいないものの、涼しいことは涼しい。金欠に変わりはないが、今日のために僅かばかりの貯金をしたせいで二千円くらいは使えそう♪
 都電を下りて、早稲田構内を通って会場へ 

最近のカワサキも愛読する井伏だし、阿佐ヶ谷文学会も気になるところだが、今朝布団にくるまって読んだ、太宰治『もの思ふ葦』の中の井伏鱒二論が印象深かったというのが拾った本当の理由・・・。

講談社文芸文庫”版の「解説」は、絶対に文学が分からない野暮女・上野千鶴子によるものがだが、この“講談社文庫”版の「解説」は磯田光一によるもの。講談社は何故、この磯田の解説を使わなかったのか謎だ・・・。

  • G・H・ミード『西洋近代思想史−十九世紀の思想の動き 上・下』(講談社学術文庫

特に、上巻のルネサンスからカント哲学を媒介にしてドイツ・ロマン派が誕生する下りを読みたかった。ミードは『哲学の再構成』くらいしか目を通していないけど、要するにプラグマティズムって、換言すれば今のシステム論。その点は、思い入れなしの明快な形式的記述=整理が期待される。

バーネットの『初期ギリシア哲学』を何度も読んで、生涯に渡るあの強烈なピューリタニズム批判を総括したというのがD・H・ロレンスの『黙示録論』。その意味でもバーネットは気になっていた。だが、手頃なのは、その後に書いた、この『プラトン哲学』くらいしかないのかな。

「哲学者」の対談が本に纏められるというのが、まず珍しい。しかし、早いうちから「現代思想の岐路」を19世紀末〜1920年代に見定め、その背景にも目配り効かせてきたこの二人なら、逆に対談の方が雑多なこぼれ話も聞けるというもの。見たことはあったが、絶版で古書価格が張り、結局これまで諦めていた代物。が、やっと今日拾うことができた。素直に嬉しい。

既に持っているが、ボロすぎるので買い直し。個人的には、ほとんど『嘔吐』の自己解説として読める『マラルメ』(ちくま学芸−絶版だったがちくま復刊考慮中リストに入ってました。)も棄てがたいが、サルトルの文芸批評といえば『ボードレール』と言う人が多い気がする(と言っても、坪内と江藤淳くらいか・・・)。

 ついでに、備忘のため嫁の収穫も記す。

家には『ペテン師列伝』はあったが、この本は安くても800円くらいでしか見たことがない。が、今日300円で拾ったのは嫁のナイスプレーだ。

嫁は、嫁で何度か上海に行ったことがあるので買ったと言うが、個人的には小林秀雄が、戦後初めて発表する「モーツァルト」を書き始めたのが、戦中の上海だったという事情が気になるところ。戦前の上海事情についても詳しそう。

藤田嗣治(フランス)とは違う意味で、興味深いエトランゼの画家ではある。が、その内容に関しては、この前に観たテレビ東京の「美の巨人」での紹介くらいしか知らない。
コレットシェリ』(岩波文庫
生前の篠田一士が「コレットプルーストよりが難解です。」という名言を残したそうな。換言すれば、プルーストはたかだか“世界文学”だが、コレットは紛れもなく“フランス文学の粋”だということだろうか。小林信夫も絶賛する工藤庸子の『プルーストからコレットへ』も買ったことだし、これで一気に、フランス風俗小説の核心=コレットへ雪崩れ込む用意はできたことになる。

 お茶をしてから、そのまま帰宅。夜は、三人で“殿上湯”へ行って後、湯上がりに『リアリズムの宿』(山下淳弘監督)を観て笑う。これで二回目。最近、二、三度目の映画しか観ていない気がする。