論文を休んで

 少し遅く起きて、大学に書類を提出しに行く。

 ただ、書類提出のためだけに大学に出掛けるというのが馬鹿らしいので、大学付近の古本屋が本当の目当て。が、めぼしいものが見付からない・・・・。仕方がないので帰路、駒込平和堂などに寄るも、やはり手応えなし・・・。こうなれば欲求不満で何か見つけなければ気が済まない。
 で、新刊書店に立ち寄って内田樹の『私の身体は頭がいい』(文春文庫)を購入。
 
 帰路、カワサキ宅に寄り、昼飯を食べる。
 食べ終わって、カワサキ家の書棚を眺めていたら、小山清の『日日の麺麭・風貌』 (講談社文芸文庫)を発見。頁を繰っていると、小山の生年が1911年であるという文字が目に入る。小山は太宰治の2つ歳下で、保田與重郎の1つ下、福田恒存の1つ年上で、中村光夫と同じ歳ってことだ。小山って案外新しい人なんですね。それにしても、太宰と保田や小山は戦前の人で、福田や中村は戦後の人っていうのは拭いがたい先入観になっている。おそらく、そのイメージの内実を少しづつ問いつめる過程で、再度文学史が書き換えられる必要があるんだろう。戦前と戦後の“断絶”というイメージ自体が戦後的擬制なのだ。福田をやっていると、つくづくそう思う。

 夕方までで内田の本を一気に読む。まぁ、いつもの内田節。で、仕事へ。
 小学五年の受験クラス一コマ、中学生三年2コマ。

 帰宅後、通勤途中に読んでいた行方昭夫『英文快読術』(岩波現代文庫)を読み継ぐ。じつはこれ、以前に途中まで読んでいた代物だが、改めて再読すると以前には分からなかった味があって面白い。しかも為になる。
 語学は何といっても謙虚さに徹することだろうな。retold版でいいから世界文学の復習が急にしたくなってきた。