研究会が延期されたので・・・

daily-komagome2007-10-20

 朝起きて、メールボックスを開けると、大学の助教とたった二人っきりでやっている言語論研究会の日程延期のお知らせが来ている。それならと、仕事までの時間を家事と読書に充てる。
 昼すぎ、日用雑貨を買うついでに、駒込駅前の平和堂まで足を延ばす。そこで二冊。

 今さら「星の王子さま」かよ!って、侮る事なかれ。家には既にデカイ絵本が一冊あるけど、石井洋二郎訳のちくま文庫は、間違いなく大人の読者がターゲットだ。読みようによっちゃ、この孤独な「自分さがし」をしている王子さまは、第二次大戦を前にして彷徨っていた当時のヨーロッパの「無垢」の抽象であり、そして、またその閉塞からの脱出口の必要を示そうとして書かれている。とすれば、サン・テグジュペリは、実はロレンスや、ガーネットなんかと共通した同時代的問題意識(近代的「個人」は他者を愛しうるのか!?)を持っていたのではないか。30分で読み返せるし、当時の世界的ベストセラーが、未だに日本だけでも数十の翻訳が出ているという事実が何を意味するのかを少し考えてみるのもいいだろう。ちなみに『ギッシング短編集』は、渋〜いイギリス19世紀末の古本話が目当て。
 帰路、偶然電話があって、カワサキが在宅であることを知ったので、少し立ち寄ることに。それにしてもカワサキも渋いね。稀覯本趣味もないのに、いつのまにか岸田劉生の『美の本体』の初版本(昭和16年)を手に入れて「劉生の求心的モダニズムは辛いね」と呟くんだから。確かに劉生のキリスト教的「真善美」の求道性は、同時代の小出楢重の余裕と比べれば、その対照性が鮮やかだ。が、その求道の歩みが、そのまま麗子像の超近代性へと抜け出てしまうんだから面白い。麗子像なんて、どう見たってあの不気味さは、曾我瀟白の「寒山拾得図」の直系だものね。そういえば、近代の彼岸に立ちつくしした森鴎外も、「寒山拾得」を書いていたな。「寒山拾得」って何なのだろう・・・。俄に「寒山拾得」に興味が湧いてきた・・・・。
 帰宅後、用意をしてすぐ仕事へ。今日は、授業後、11時まで残勉に付き合う。
 仕事からの帰路、亀の湯に寄って一っ風呂浴びる。少しずつだけど寒くなってきた。この季節感が好きだ。