色々と思い出す

daily-komagome2007-09-14


 昨夜は、鍵を持つのを忘れて、家には入れなかったので仕方なく駒込平和堂へ寄って嫁の帰るのを待つ。すると、筒井清忠『昭和期日本の構造−二・二六事件とその時代』(講談社学術文庫)を発見。
 この本、確か、ちくま学芸で副題の『二・二六事件とその時代』で再刊されたばっかりのものだ。講談社学術が絶版にして、その後ちくま学芸が拾うというパターンがいくつかあるが、これもその一つ。読み物ではなく、「昭和軍閥史」の構造分析を本格的に施した第一級の研究書。俗に言う皇道派と統制派との陸軍のエリート派閥抗争の記述は、そのまま昭和初期の思想戦になっていて面白い。しかも、単なる思想戦というよりも、欲得を帯びた人間関係の機微を「仁義なき権力機械」として描いているあたりがリアルだ。かつて、シエィクスピア史劇や、カルデロンなんかのスペイン・バロック悲劇が描いた権力闘争を、“自然史のはかなさ”と評したのはベンヤミンだったが、正に、この権力闘争は“自然”を、つまりは我々の個的な意志を超えて生成する“歴史”を感じさせてくれる。

 それにしても安倍ちゃんも、そこら辺のマキャベリアン然とした権力感覚があったら違ったのになぁ・・・・。仲良しグループに信を置く誠実さや、未来志向の理念だけじゃ、皇道派青年将校と変わらない。もちろん、それらを完全に失ったニヒリストにも政治はできないが・・・。要するに、理念が絶対に現実化しない退廃的な現実に身をひたし、それを前提にしながら、なお理念を持てるかといったマキャベリ的問いだけが、未だ政治家にとってリアルな問いなのだろう。その為には、子飼いをつくり一族郎党に金をやり、時にはモーセの如く他人を踏みにじる。
 しかし、挫折経験のない純粋培養青年将校の一途な誠実は、真崎甚三郎大将の「君たちが動けば、後は任せろ」みたいな無責任で曖昧な言葉を信じたし、昭和天皇への勝手な期待を膨らませていたのだった。結果論で恐縮でだが、安倍は結局、あの弛緩しきった内閣を信じてしまった時に終わっていたのかも知れない。教師が、「生徒」(「学生」や「弟子」じゃないよ)を信じてしまった時に間違いなく失敗するのと同型だ。
 それに比べて、あの“ぬらりひょん”の様な福田の不気味さ、ほとんどヤクザの親分然とした麻生の冷酷さ、あの清濁併せ呑む怪物的顔はどうよ。もちろん、“好き”ではないが、『仁義なき戦い』全五巻を鑑賞するくらいの“教育的効果”だけはありそうだ。少なくとも、今回の安倍首相続投〜辞任騒動の裏には、間違いなくこの二人の内のどちらか(多分、麻生)が居る。

 ちなみに、筑摩書房は、現在“ちくま学芸文庫復刊リクエスト”(http://www.chikumashobo.co.jp/#)をやっているけど、やっぱり名著が多いな。西洋だけに限っても、「戦争」と「政治」を教えてくれたC・シュミットの『パルチザンの論理』や、「歴史」を教えてくれたK・レーヴィット『ブルクハルト』や、「二〇世紀文学=象徴主義文学」のなんたるかを教えてくれたエドマンド・ウィルソンの『アクセルの城』や、「西洋演劇史」を教えてくれたG・スタイナーの『悲劇の死』や、「ロマン」を教えてくれたルカーチ『小説の理論』や、「ギリシア悲劇」を教えてくれたハリソン女史『古代芸術と祭式』などなど、拾っていったら切りがないが、とてつもない名著群がどっさりです。