「朝日社説−教育再生会議・安倍氏と共に去りぬ 」への愚痴

 昨日31日、最終報告を福田に提出した教育再生会議は、その役割を一応終えた。まぁ、安倍が去って後、各方面の利害を折衝して提出された結論などに実効性も政治力もあるわけもないのだが、しかし、それにしても「朝日」の批判は頭が悪すぎるね。以下は、2月1日付けの朝日新聞朝刊の社説の摘要。

私たちは社説で、この改正の持つ問題点を再三指摘した。学力の向上やいじめの解決につながるのか。文科省の管理が強まれば、教師を萎縮(いしゅく)させ、現場の工夫をそいでしまわないか。(中略)提言そのものに力があれば、旗振り役の安倍氏が去っても、その提言は世論の支持を得たのではないか。結局、提言には見るべきものがなかったということだろう。(中略)その際、大切なのは政治や行政の思惑から離れて一から議論を積み上げることだ。時の政権がやりたいことを後付けするのでは意味がない。

 凄いね、この思考停止の“文科省=政治権力(悪)VS現場=創意工夫(善)”の二項対立観念と、何らの具体性を伴わない“よい子の解答”。な、わきゃねぇだろう。逆に、校長の権限が限定されていたところに、職員会議の権力闘争(日教組VS一般教員)の不毛な対立を許し、現場の怠慢が見過ごされてきたというのに、その「痛いところ」には触れずじまい。「現場」に任せば、そんなにハッピーになるなら、いっそのこと「現場」しかない塾の方をもっと褒めて欲しいね。それこそ授業規律の躾から、ABCの補習、御三家進学まで一手に引き受けますよ。
 そういえば、ある日、うちの塾の“できない”生徒が(“できない”ってとこが重要!)、学校の先生に「塾では教えてくれるのに、何で学校では英文法を教えてくれないの?」と聞いたら、その先生は「中学生は、文法よりも話すことと聞くことを中心に学ぶからだよ」と答えたそうな。で、その“できない生徒”は「意味も分からないのに、話せるわけなぇだろ!」という真っ当な反応によって、ますます学校への不信を高めてしまったとのことです。しかも、中学校の英語の主任教師は鬱病で登校拒否につき、一週間受業なしの自習という非常事態で、正規の授業があっても、たかだか一週間に三コマとくりゃ、確かに、これでどうやって「話すことと、聞くこと」が学べるのかと言いたくなる。いや、これを「現場の教師」に言っても仕方がない。これこそ“制度”の問題だろう。「権力」は“ありすぎる”のも困りものだが、しかし、“ない”ということが一番怖いのです。その辺のバランス感覚が完全に麻痺してるから、「落日の朝日」とか言われちまうんだよ。
 それに比べて、「産経新聞」が掲載している「教育再生会議の委員経験者三人による採点」は短いが、読み応えがある。特に、河上亮一と藤田英典の厳しい批判は、「朝日」の感傷とは違う、「論理」のレベルで学ぶことが多かった。教育再生会議の報告書のみを“読み込む”ことで、そのテクストが孕む論理矛盾を指摘しているのだ。河上は「子供や保護者の立場にたった「自由化・個性化」(本来は高等教育の課題)」と、「基礎基本を徹底して自立した国民を育成する(規律訓練型の義務教育)」の並記を問題化し、そのどっちつかずの煮え切らなさが、逆に現場に混乱をもたらすことを指摘する。一方、藤田は「徳育」などで規範意識が向上するわけがない「常識」を述べて後、「社会総がかりでの子育て」という理念(競争の前提となる共同性の問題)と、「学校選択制」の理念(市場の競争原理)の論理的矛盾、学校範囲のいじめと少年犯罪との混同などを批判している。確かに「上」で纏まってない物が「下」に来て、良くなるわけがない。問題は「上=権力」VS「下=現場」ではなく、飽くまでも論理的一貫性なのです。「信念」を戦わすなどという高級な振る舞いは、その後で充分だ。
 それにしても、昔は「教育論」などという不潔なことだけはするまいと思っていたのだが、つい筆が滑ってしまう歳になってしまったのか・・・・。

ブニュエル・文庫・新年会

daily-komagome2008-01-31

 日曜日の夜は、シバノと『幻影は市電に乗って旅をする』(ルイス・ブニュエル監督/1953年・メキシコ/83min)を観る。メキシコ時代のブニュエルの滋味深い佳品。「“間=ズレ”の加速の果てに、もはや修正不可能な傷=深淵が露呈する過程」を描く“悲劇”に比べ、「“間=ズレ”の加速の果てに、いつの間にかそのズレが元通りに修正されている」という“喜劇”の持ち味は、その「修正可能性」を前提として荒唐無稽にまで拡大されたズレの可笑しさにこそある。その意味で、スラップ・スティックのドタバタ劇が、不条理なシュールレアリズムに近づいてしまうのには何の不思議もない。ブニュエルを「シュール・レアリズム」だけで捉えると間違えてしまうのは、多分、このスペイン的土俗(=カトリック)の笑いを引きずった喜劇性によるのだろう。いや逆に、元々キートンなどのハリウッド・ドタバタ喜劇のファンだったブニュエルが、たまたまフランスでシュールレアリズムに出会ったのと同じように、20世紀初頭に現れた喜劇精神の方が、たまたまフランスに転がっていたシュールレアリズムという名前を拾ってみた程度のことなんだろう。ラブレー然り、シェイクスピア然り、落語然り、要するに喜劇の方が過激なのだ。
 そういえば、中村光夫が「笑いの喪失」(『二十世紀の小説』角川文庫・昭和27年)というエッセイの中で、「自我」を中心化した近代文学が喪失した最大のものこそ「笑い」だったとして、深刻ぶった「日本近代文学自然主義」への批判を展開していたっけ。だとすれば、元々“非=近代”的である「笑い」は、結局“反=近代”を目論んで深刻から脱し切れない「シュールレアリズム」なんかよりずっと大きいということになる。そしてもちろん、この「笑い」の背後には、空間的、時間的に“明かし得ぬ共同体”が横たわっている訳だが・・・。
 月曜日は、師匠を囲んでの遅い新年会のため池袋へ。少し早く家を出て、ジュンク堂へ。ちくま学芸文庫のリクエスト復刊(http://www.chikumashobo.co.jp/special/gakugeifukkan/)はまだ出ていないよなぁ〜とチェックするためだったのだが、やっぱりまだみたいで、仕方がなく嫁と他の文庫を買う。

 大正期の作家・芸術家を主題とした池袋本に加え、ベンヤミンボードレール論と、奇しくも「遊歩者」「ボエーム(ボヘミヤン)」を主題とした、都市=近代ものの本二冊となった。ずっしりと重い『池袋モンパルナス』500頁も読み応えがありそうだが、浅井健二郎の翻訳+訳注も素晴らしい。読者がいることを考えていないとしか思えないベンヤミンの『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』や『ドイツ悲劇の根源』のクネクネした抽象記述など、浅井によるあの詳細な注記がなければどこまで理解できたか怪しいものだ。で、この度も浅井健二郎の編集方針の下に翻訳された「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」(久保哲司・訳)の注記は読み応えがあった。ただ、読解力のほぼ皆無な学部一年の時に読んで(って既に10年前か・・・)、「だから?」と思わせたベンヤミンが、今になって痛いほど浸みてくるというのは、単に翻訳の問題だけでない気もするが・・・・。
 新年会の方は、夕方6時から始まったものの、久しぶりに先輩連が多数集まり盛り上がったこともあってか、結局帰れずじまい。それで先輩とマッチーを連れてからカワサキ家に押し掛けて、結局朝までコース。本当、毎度お世話になります。

カルスタの嫌らしさ

daily-komagome2008-01-26

 最近、風邪と論文と受験対策が重なってなかなか更新できなかった。しかし、この分だと、多分今まで以上に論文にパワーを使うからそのうちブログはほとんど書けなくなるかもしれないなぁ・・・ただ、今はまだ余裕がある。
 ということで一昨日は、自転車で谷根千方面へ。古書ほうろうで4冊。

 それにしても山田登世子の『メディア都市パリ』って題名は誤解を与えはしないか。だって中身は“メディア論”でも“都市論”でもないんだもの。少し軽薄だけど、よく纏まった「近代=小説論」になっている。個人的には、阿部良雄の『群衆の中の芸術家−ボードレールと十九世紀フランス絵画』(中公文庫→ちくま学芸文庫)や、鹿島茂の『パリの王様たち』(文春文庫・絶版)なんかの系譜に棹さすフランス本として楽しんだ。ただ、生意気言うと、ベンヤミンの使い方や、「ロマン主義」の理解は甘い。初版が1991年だから仕方がないのかも知れないけど・・・。
 で、今日は、午後に殿上湯で昼風呂の後、地元の古本屋を回って4冊。

 フィリップ・ジュリアンの古典的象徴主義論は、復刊された新装版に本屋で出会う度に、欲しいなぁと思って指をくわえて見ていたのだが、今日はその旧装版に古本でお目にかかれたという次第。2200円と安かったのに加え、嫁が折半してくれるとのことでやっと購入できた。ありがたい。
 デザインに於ける象徴主義=世紀末芸術を論じた海野弘の処女作『アール・ヌーボーの世界』(中公文庫)の驥尾に付して言えば、19世紀世紀末芸術に全ての現代アートの源泉があるとの意見に基本的に賛成なのだけど、それを言うのなら、あのハンス・H・ホーフシュテッター『象徴主義と世紀末芸術』(美術出版社)の扉絵が、正しくドイツのオットー・ルンゲ「朝」(1808−右上画像)であるように、コンセプト自体は実は遠く18世紀末のドイツ浪漫派に起源すると見た方がいい。バーリンフーコーも言うように、モダン=現代アートの概念はそれ以前には遡行できないはずだ。と言うことは、現在に於いてもカントの『判断力批判』の「反省的距離の担保=鑑賞」による「形式化」という論理が、近代美学の原理的規範たらざるを得ないということでもある。いや、本音を言うのなら、だからこそモダンアートには自己嫌悪にも似た割り切れ無さ感じてしまうのだけど・・・・。
 その意味で、山田登世子の「近代=小説論」は少し浮き足立っているんだろうな。あたかも自分だけが「近代=文学の神話」から抜け出ているたような語り口に付随する脳天気さは、例え80年代ポストモダニズムを引きずっている事実を差し引いても、やはり無責任に響いてくる。別に“左”がかっていなくとも同じだ。カル・スタの“制度分析=批判”の嫌らしさは、常に、その淀みない論理を支えている“外からの俯瞰”に起因している。

「物質」としての新聞。

daily-komagome2008-01-24

 最近、朝食後、珈琲を片手に新聞を隈なく読むのが、何よりの楽しみになってきている。読みながら気になった記事を切り抜き、文章に赤線とコメントを添え、日時を記し、自分のファイルに収める作業がなんとも心を落ち着かせるのである。新聞代月額2900円の元は十二分にとっておかなければならないという家計的要請もあるが、どうもそれだけじゃないみたい。やはり、紙面というものの物質性に起因する気がする・・・・。
 全く同じ文章でも、単なる情報に還元されたかのようなネットニュースで“眺める”のとは手応えが全く違うのである。ネットでは、ただ毎日のように生成変化しただ過ぎゆく情報はあるものの、優先度の濃淡もなく、囲みや棒線や矢印が記せないから、例えば「正論」の様な少し長い論理=主張を精密に追うことが出来ない。すると自然と感覚は、「ああ、いつもの権力闘争ね」「また、やってらぁ・・・」という“シニカルな諦め”の中へ埋没して行き(この感覚も時には必要なのだけど)、結局、重要な意思決定の場面で“なんとなくな記憶=イメージ”が優先することに。それに比べ、棒線を引けコメントも付せてファイリングすることさえできる新聞となると、それぞれの論者の固有名詞を含めて手元に参照可能な“証拠”が残っていく感触が確実にある。すると不思議なことに、状況に対する不鮮明なイメージや不安感が、ほんの少しだけ軽減されているかのような感覚(錯覚?)に立ち至るのである。もちろん、それでも状況への一喜一憂は相変わらずなのだけど・・・・。
 軽々しく道路特定財源暫定税率の引き下げ(=ガソリン税の25円値下げ)に踏み切ろうとする民主党ポピュリズムや、言うことのコロコロ変わる小沢一郎の“政局主義”に苛立ち、しかし、安部内閣が崩壊するのを待っていたかのように湧いて出た「人権擁護法案」などというクソみたいな法案(共産党さえ反対している)に煮え切らない福田康夫の“調整主義”にも納得がいかず、サブプライムショックと石油高に円高が絡んでのインフレ不景気の嫌な予感に身震いし、果ては、どうでもいいセンター試験現代社会」に載った、そこらのバカな“サブ・カル研究者”が出題したとしか思えない「対抗文化(=カウンター・カルチャー)」についての色がかった問題にさえ憤るといった不体裁。でもって国際情勢で言えば、例えばロシア・プーチン帝国の覇権主義(実は彼が、87年にサンクトペテルブルク鉱山大学に提出した准博士論文における国家資本主義の政策そのままらしい)に怖気立ち、韓国の次期大統領が季明博に決定して以降、国家情報院のトップ金万福が情報リークの背任で辞任し、「南北統一省」の廃止や、「親日反民族行為真相糾明委員会」「日帝強占下強制動員被害真相究明委員会」などの左翼分子の溜まり場(=利権の温床)の一掃など、思い切った行政改革が明らかになるに及んで、「やっと、これで常識で話し合える場が出来たか」と胸をなで下ろすといった具合だ。
 それにしても、この“情報=物質”への執着は、やはり手元に古本を置いておくという感情に繋がっているんだろう・・・・。つくづく、変えようにも変えられない抵抗感を持つが故に、依拠すべき基軸にもなりうるという“物質”を舐めてはいけませんな。
 ということで、昨日の収穫二冊。

 でもって、仕事もいよいよ佳境に入ってきた。あと一か月が受験の山だ。

野暮ったくも、書きすぎた。

daily-komagome2008-01-18

 午前のうちに『エスター・カーン めざめの時』(アルノー・デプレシャン監督、アーサー・シモンズ原作/2000年・仏+英/145min)を観る。現代劇『そして僕は恋をする』('96)以来のデプレシャン映画だが、今度は19世紀末イギリスを舞台とした女優誕生物語。豪華なコスチュームプレイを背景にしながら、しかし人物造形がくっきりとシンプルに浮かび上がる描き方は、さすが!と唸ってしまった。19世紀イギリスの世紀末象徴主義を支えたアーサー・シモンズの原作(『エスター・カーン』平凡社ライブラリー)では、閉ざされたユダヤ社会からの脱出=自己獲得の喜びと、失恋=他者喪失を経て、より自立した強い女=女優へと成長するといった、旧いフェミニストが喜びそうな直線的なビルディング・ロマンス仕立てなのだが、21世紀デプレシャン版の『エスター・カーン』は原作をほとんど改変することなく、しかし細かい演出の解釈のみでシモンズの原作とは全く違う女優誕生物語を描いてみせた。つまり、ユダヤ社会や家族からの疎外に耐えるべく「自己」を固い殻の内に閉じこめてしまった一人の女性が、その「意思」なき透明な主体故に、成長してからは、自己の内に「演技」を「自然」に招き入れることの出来る女優として成功しながら、しかし後に、逆に自己の周りに張り巡らした固い殻=他者への不感症に悩むといった循環的過程を丁寧にドラマ化しているのだ。その過程で、不感症を打ち破らんとして打算的に選んだ男との関係の内に、知らず他者への情念を育てあげてしまって時、感情を死滅させて自立=孤立していたはずの女優は、しかし、身を割くような喪失=失恋の暴力的悲しみを身に受けることで、“事後的”に「他者=自己」を実感として獲得するといったジグザグ歩行が浮かび上がってくるというわけ。要するに、シモンズの直線的に描かれた「近代的個我」の完成物語が、デプレシャンでは逆に、固く閉じこめられた「近代的個我」の他者への打開といった成熟物語に仕上がっているのである。江藤淳的に言えば「喪失と成熟」のといったところか。久しぶりに、“シンプルなのに繊細”というトリフォーやロメール直系の佳作に出会った感じだ。
 午後、駅前まで散歩。平和堂で二冊。

 お茶をしながら『バビロンに帰る』を読む。で、夕方頃出勤。
 仕事からの帰路、折良くカワサキから電話があって、今からフィッツジェラルド会でもやらないかとのこと。採り上げるのは『マイ・ロスト・シティー』(中公文庫)。で、遅い夕食を伴いながら、二人で深夜の1,2時間をフィッツジェラルドを語ることに費やす。
 フィッツジェラルドの読後感を一発批評で済ませておけば、それは1920年アメリカにおける痛々しい「喪失と成熟」の記憶である。人々はニューヨークの「記憶のない現在」を埋め合わせようと焦る余り、華やかな「消費=快楽」に走るのだが、まさにその「快楽」が「快楽」でしかないために、抵抗感のある「生産」を介した他者との「絆=歴史(幸福)」を作ることは不可能で、故に、陶酔の後には、またしても「記憶喪失の現在」=空白を虚しく埋める摩天楼の廃墟だけが残されるといったアメリカならではの哀切感。否、フィツジェラルドの固有性は、その「消費=快楽」の“絶頂”で、シニカルな哀切感=喪失感を直感できるモラリストとしての感性にこそあったのだろう。
 春樹が1920年代のフィッツジェラルドを評して「一貫して無軌道」だったと書いているが、そのほとんど語義矛盾のような「一貫性」からは、身を以てして資本主義のデカダンスを底の底まで味わい尽くすことで、その「無際限な快楽」を見切り、イデオロギーに自己を預けることなく「消費=快楽」から癒えようとするフィッツジェラルドの情念ともいえる迫力が伝わってくる。その意味では、完成したばかりのエンパイア・ステートビルからニューヨークの街を眼下に眺めたとき、無限とも思われた快楽の都が、実は限られた小さな土地でしかなく、その外には森が、見通すことのできない自然が拡がっている事実に安堵を見出すフィッジェラルドの態度は、やはり「自己より大いなるもの」に祈ってきたアメリカ文学伝来のナチュラリズムにさえ繋がっているのだとさえ感じさせる。“制度・因習からの自由=外”に夢を賭けられたヨーロッパ文学と比べて、“自由”自体が所与の前提(=内)でしかないアメリカでは、逆に“内”を限定する「より大いなるもの」への渇望=祈りは必至なのである。
 その点、作家になる以前に村上春樹が20回は繰り返し読んだという『バビロンに帰る』は、世界大恐慌後の1931年に書かれたというだけあって、「成熟」へ向けて一歩踏み出したフィッツジェラルドの輪郭=祈りがくっきり浮かび上がっていて感動的である。「快楽」の“消えない傷痕”を抱えながら、しかし、一歩一歩と「日常・生活」の中へ帰っていこうと努力する主人公チャーリー・ウェールズの姿は、そのまま他者との間に日常的=散文的時間を積み重ねることでやっと手に入れることの出来る「絆=幸福」の手触りを一生懸命に繋ぎ止めようとするフィッツジェラルドの祈りの姿そのものである。やはり『バビロンに帰る』は、「自由=快楽の絶頂」を知っているからこそ、引き受けるに値する「不自由=忍耐」を学ぶことのできる男の物語として、フィッジエラルドの数ある短篇群の中でも鮮明な印象を与えてくれる。

 今日は『エスター・カーン』にしても、フィッツジェラルドにしても、奇しくも「成熟と喪失」をめぐってしまった。

末広亭・正月二之席 

daily-komagome2008-01-14

 久しぶりに夫婦揃っての休日。自分は冬期講習から普通授業への接続のために8日間連続講義だったし、嫁も嫁でご苦労なことに9日間連続のお勤め。それでも、隣には一ヶ月休み無しという驚異の編集者もいるので、この程度で愚痴を言えるはずもないのだが・・・・。
 ただ、せっかく夫婦揃っての休日なので、先日カワサキから教えてもらった末広亭の「寿正月二之席」にでも出掛けようと、昼過ぎから新宿に向かう。しかし、さすがに正月二之席!満員御礼で立ち見まで出る大盛況。それもそのはず、そのラインナップが凄すぎる!
 昼の部を、柳家花禄、三遊亭圓花(昼主任)と爆笑で締めくくって後、引き続いて夜の部は三遊亭圓丈あたりから場内が温まりだし、柳家権太楼、三遊亭金馬昭和のいる・こいる橘家圓蔵で一気に爆笑を誘い、仲入りで少し息を整えて後、春風亭一朝古今亭志ん駒、林屋正楽とトン、トン、トンと軽いウォーミングアップ。で、トリを柳家小三治のサラリ端正な落語で静かに〆るという信じられない豪華さ。これでたったの3000円。これをホール落語でするなら1万円は下らないのじゃないか?
 しかし、料金が云々とケチな話がしたい訳じゃない。ただ正月早々、末広亭の空間を満たした「落語」が素晴らしかったのだ。やはりホール落語とは何かが違う。寄席の雰囲気もさることながら、演者の客に向かうその“態度”がホール落語とは決定的に違うのだ。落語家にしても色ものにしても、数並ぶ演目の中で上手い演者ばかりじゃ逆に疲れる。で、時に下手な出し物も織り込みながら、しかし、演目“全体”の中で観ればそれもまた味になっているといった感じか。だから、客は「特定の落語家の、特定の演目(=作品・表現)」を対象に鑑賞するというよりも、その寄席の“全体(=場)”に身を浸しに行くと言った方が正しい。一方、演者も演者でそれを分かっているから、自然に「自分の座り位置(=場)」に謙譲を示すことが出来るのだろう。それで、客と演者は、その“場”を媒介にして“息が合う”という幸福感を分かち持つことが出来るというてわけ。しかし、それを手前の野暮な言葉で分析するよりも、ここは末広亭の元席主・北村銀太郎の「ホールと違つて寄席は完成品を売るところじゃない、こしらへながら売るところなんだ」という鋭い言葉に耳を傾けようじゃないか。

ホールってのは、あれ、学校の教室みたいなところだよ。しかし、落語というのはまったくの大衆を前にしての芸なんだからね、そりやあ寄席でやる方が難しい。ホールのお客は初めつからそれを聞きにきてる人なんだから、多少のことがあつても聞いてもらえるだろうけど、寄席のお客はそうじゃない、暇だから入ってきた、通りすがりにちよとつとのぞいてみたつて人が多い。義理だの、前もっての知識だの、なにもない。だから、そのぶん正直なんだ。つまらない落語なら退屈して堂々とあくびをするし、席もたつてしまふ。(中略)落語というのは普段着のまんま喋れるやうになつてなきやなんないんだよ。変に居住ゐを正して高座に上がって、俗に通人と呼ばれるやうな人たちだけを相手にしてゐちやね、まるで教室で講義してるやうになつちやふ。これはもう芸人らしさは失はれていくし、落語芸の特徴も消えてゆくで、ちよつとつまらない方にいつちまつたりしかねないわけだ。
 高座で一席やることは落語の発表会じやないんだからね。それが、その晩一晩だけの高座となると、やつぱり裃をつけた気分にもなるよ、そりやあね。寄席のやうに毎晩毎晩やるとなると、そこに軽い気持ちでやれるような雰囲気が出てくるわけだよ。」(席主北村銀太郎述『聞書き・寄席末広亭』少年社、1980・7)

 素晴らしい本を貸してくれてありがとう、カワサキ君!

昔の新書

daily-komagome2008-01-12

 起床後、家事をこなして後、読書。午後、商店街にメンチカツを買いにいくついでに、また古本屋まで足をのばしてしまう。そこで、新書三冊を拾う。

 実は、二冊の絶版新書はどちらも再購入。“名著なのに絶版”という兼価本は何度拾っても損はない。友人へのプレゼントにもなるしね・・・。特に、近代の幕開け=ルネサンスという時代の、文字通り「偉大と頽廃」を教えてもらった清水純一の本はこれで三冊目。
 それにしても岩淵、清水の本にしてもそうだが、昔の新書の読み応えには常々驚く。そういえば、未だ“左畜”の跋扈甚だしい80年代、あの呉智英が、論争相手の「バカ」の一人である岡庭昇から、「新書知識人」と雑言を投げられたことがあったけど(呉智英『バカにつける薬』参照)、しかし本当に新書を読み込んで血肉化しているのなら、これ以上の褒め言葉もないものだ。だって岩波新書の青・黄色版に限っても、丸山真男『「文明論之概略」を読む 上・中・下』や、島田虔次『朱子学陽明学』、福田歓一『近代の政治思想』『近代民主主義とその展望』、川島武宜『日本人の法意識』、野田又夫デカルト』、佐々木毅『近代政治思想の誕生』などなど、そのまま“ちくま学芸文庫”に収まってもおかしくないラインナップが思い浮かぶし、より渋い中公新書まで含めたら、それこそ碩学の名に値するのだろう宮崎市定の『科挙』や、高階秀爾の『フィレンツェ』に始まって、源了圓『徳川思想小史』や、つい先ほど実際に“ちくま学芸文庫”に収められた間宮陽介『ケインズハイエク』など、その名著群は枚挙に暇がないだろう。そういえば、先日無理して買ったブルクハルトの『コンスタンティヌス大帝の時代』(1853)の序文にも、「著者は本書を特に学術研究者のために書いたのではなく、むしろあらゆる階級の思考する読者のために書いたのであった。」との一文があったっけ。それこそ“昔の新書”の精神だったんだろう。あの、世紀の碩学ブルクハルトの処女作にしてこの態度なんだから、逆にアカデミズムでしか通用しない気どった「学術書」ばかり書いている「研究者」こそ、きっとウスノロ馬鹿に決まっている。
 帰宅して後、メンチカツを食っているところへ、カワサキ来訪。太宰の『お伽草紙』(新潮文庫)をネタに文学話。個人的には、アイロニカルな解釈が施されている「お伽草子」の連作より、鴎外の歴史小説や落語の手触りがある「新釈諸国噺」(西鶴の翻案モノ)の方が圧倒的に好き。しかし、『お伽草子』など、太宰の中期傑作を読むにつけ、「太宰治人間失格」という“イメージ”は、いい加減、そろそろ払拭してもいいのではないかと思ってしまう(だいたい『人間失格』はとっても上手い“メタフィクション”のはずなんですけどね・・・・)。そして最後は何故か、一度はアメリカ文学特集をやっとくかという話に傾き、次回はフィッツジェラルド村上春樹訳『マイ・ロスト・シティ』(中公文庫)を採り上げることに。しかし、文学話に付き合ってくれるのが、娑婆で働く映像クリエーターだというのも不思議な話だ。
 その後、仕事へ。12時前に帰宅。